ビットコイン・インスティテュート

ハル・フィニー (1956–2014)

サイファーパンク、PGP開発者、ビットコイン最初の受信者

人物
🔍 サトシ正体仮説 →

濃紺を背景にしたテクノロジー風のイラスト。顔のないシルエットの中をコードが流れ、光る六角形のトークンが円形にループし、二つのノードがコインの記号でつながり、カプセル状の軌道の上で二つの点が線で結ばれている。

「身体が外側で死につつあっても、内側では生き続けていられるんだ。」

ハル・フィニーがこう書いたのは2009年10月、ALSの診断から2か月後だった。同じ年、彼はサトシ以外で初めてビットコインを動かした人物になっていた。少なくとも、本人は後にそう振り返っている。2009年1月11日の「Running bitcoin」、たった二語のツイートが、ソフトウェアの稼働に触れた最初の公開記録になった。その翌日、サトシが彼へブロック170で10 BTCを送る。人から人へビットコインが渡った、史上初の記録である。その2か月前、サトシによるリリース前のコードレビューの最中に、フィニーはすでにスケーラビリティについて根本的な疑問をぶつけていた。ネットワークはどれほどの規模に育ちうるのか、世界の金融取引の大半を扱えるようになるのか、という点である。それから5年、進む麻痺のなかで彼はコードを書き続けた。最後はアイトラッキングで、かつての1/50ほどの速さで、それでも書いた。2014年8月28日に逝去。アルコー延命財団が128番目の患者として冷凍保存した。

だから彼の名は、サトシ候補として今もいちばんよく挙がる。話は出来すぎている。古参のサイファーパンク、2004年のReusable Proof-of-Work、人類最初の個人間ビットコイン送金の受領、そしてドリアン・ナカモトの近所という立地。出来すぎているからこそ、疑う価値がある。振り払いにくい反証が二つある。2009年4月18日のレース当日アリバイと、Patoshiの採掘規模が彼の活動量と合わないことだ。説の全体はハル・フィニー = サトシ仮説に詳しい。2026年には、フィニーを同じくサイファーパンクのレン・サッサマンと組ませ、二人をビットコインの共同創作者とするドキュメンタリーが、この説を別の形で再び取り上げている。

ハロルド・トーマス・フィニー二世は1956年5月4日、カリフォルニア州コアリンガに生まれ、アーケイディアで育った。1974年にアーケイディア高校を首席で卒業し、1979年にカリフォルニア工科大学(Caltech)でエンジニアリングの理学士号を取得した。

1956カリフォルニア州コアリンガで誕生 (5月)1979Caltech でエンジニアリング理学士(1974アーケイディア高校首席卒業)1991Pretty Good Privacy(PGP) プロジェクトにボランティア参加1992妻フランとアルコー・クライオニクス会員登録1996PGP 社の最初期従業員として雇用2004Reusable Proof-of-Work(RPOW) 考案2009Bitcoin v0.1を告知直後にダウンロード、サトシ以外で最初とされるノード(1月)「Running bitcoin」ツイート (1月11日)ブロック 170でサトシから 10 BTC受信 - 史上初の P2P送金 (1月12日)ALS 診断 (8月)2011PGP コーポレーション(シマンテック) を退職2013BitcoinTalk に「ビットコインと私」を投稿 (3月)2014逝去、 アルコーで 128番目の冷凍保存患者(A-1436) (8月)

暗号学とPGP

フィニーの仕事人生は、その終わり方と同じように、コードを無償で差し出すことから始まった。1991年、彼はフィル・ジマーマンのPretty Good Privacy(PGP)に無償のボランティアとして加わり、PGP 2.0の主要開発者の一人になった。1996年にジマーマンがPGP社を設立すると、フィニーは最初期の従業員に名を連ねた。同社は後にシマンテックの一部となった。

エクストロピアニズムとクライオニクス

ALSがあの冒頭の一行に重みを与えるよりずっと前から、フィニーは身体の限界を超えて生き延びられると信じていた。クライオニクスへの関心はCaltech在学中、1年生の頃からのものだ。エクストロピー研究所の延命・宇宙移住・ナノテクノロジー・人工知能をめぐる議論でも、活発に発言する一人だった。1992年10月15日、彼は妻フランとともにカリフォルニア州リバーサイドでアルコー・クライオニクスの会員登録書類に署名した。その会員資格は、アルコーが彼を引き取るまでの二十年あまり続いた。

Reusable Proof-of-Work

2004年、彼はReusable Proof-of-Work(RPOW)を構築した。これもまた、無償で差し出した。RPOWは、アダム・バックのHashcash(一度きりしか使えないプルーフ・オブ・ワークのトークン)を、使い回せる形にした。使い、戻し、次へ渡せる仕事だ。しかもRPOWは動いた。ウェイ・ダイのb-moneyとニック・サボのBit Goldが提案のままだったのに対し、RPOWは現に動くシステムだった。

Hashcash・b-money・Bit Goldの隣にRPOWがどう並ぶのか、そしてサトシがこの三つに対してどこに立っていたかは、サイファーパンク核心についての別の読み解きで扱う。

ビットコイン

彼は最初からそこにいた。2009年1月8日にBitcoin v0.1が告知されると、フィニーは本人の後年の回想によれば「すぐに入手」し、ノードを起動した。サトシ・ナカモト本人を除けば、ビットコインノードを動かした最初の人物として知られている。そしてブロック70付近からマイニングを始めた。チェーンがブロック70に達したのは1月10日の夜(UTC)である。「Running bitcoin」のツイートは11日、サトシからの10 BTC(ブロック170)は12日のことだ。同じ月の後半、フィニーは暗号学メーリングリストに、価値のあるPOWトークンはボットネット感染をより気づきやすくするはずだという技術的な観察を投稿した。これが、サトシが別の早期利用者に宛てた「リバース・スパミング」の返信の出発点となった。

ALSと最後の年月

2009年8月、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断が下る。2011年初頭、PGP社(シマンテック)を退職。それでも手は止めなかった。2013年3月19日、BitcoinTalkに「ビットコインと私」を投稿する。麻痺し、管で栄養を取り、アイトラッカーで画面を操る。その状態でも、彼はまだプログラミングを続けていた:

「最近、コードを書くこともできると分かったんだ。非常に遅く、以前の50倍は遅いだろう。でもプログラミングは今でも大好きで、目標を与えてくれる。」

最後の年、フィニー一家は別の災難に見舞われた。脅迫者が1,000 BTC(当時のおよそ40万ドル)を要求し、支払いがないと見るや、フィニー宅の電話番号を偽装してサンタバーバラ警察に「この家で人が殺された」と通報した。特殊部隊(SWAT)が出動する。ALSで身動きの取れないフィニーは、警官が家のなかを検めるあいだ、半時間ほど外で待たされた。

ハル・フィニーは2014年8月28日午前8時50分、アリゾナ州スコッツデールで世を去った。アルコー延命財団が128番目の患者(会員A-1436)として冷凍保存した。妻フラン(二人の暮らしはフラン本人の伝記と2019年のCryonics Magazineプロフィールに収められている)、息子ジェイソン、娘エリンが遺された。

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