ビットコイン・インスティテュート
サトシ・ナカモトとは何者か
サトシ・ナカモトのことなら、ここを見ればわかる ― 一次資料、関連する会話、編者による読み解き。
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サトシの記録を辿るための、6 つの入口。
人物ファイル
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2008年10月31日、9ページの論文をメーリングリストに投稿。2009年1月3日、ジェネシスブロックに「The Times 03/Jan/2009 Chancellor on brink of second bailout for banks」を刻んでビットコインを起動した。約110万BTCを採掘し、一枚も使わなかった。2011年4月、ギャビンへのメールを最後に消失。正体不明。本名かどうかもわからない。
“I've moved on to other things. It's in good hands with Gavin and everyone.” — マイク・ハーン宛メール(2011-04-23)
RPOW(再利用可能なプルーフ・オブ・ワーク)の発明者。2009年1月11日、Twitterに「Running bitcoin」とだけ投稿し、サトシ以外で初めてビットコインを動かした人間となった。翌日、サトシから世界初の送金(10 BTC)を受け取った。ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された後も視線入力でコードを書き続けた。2014年死去。遺体はアルコー財団で冷凍保存されている。
“Running bitcoin” — Twitter(2009-01-11)
ヘルシンキの大学生だった2009年、サトシにメールを送った。それから260通のやりとりを経て、bitcoin.orgとフォーラム(後のBitcointalk)を立ち上げた。サトシとの往復メールは13年間、公開せず手元に保管。2024年、COPA対ライト訴訟の証拠提出のためにすべて公開した。
“I would like to help with Bitcoin, if there's something I can do.” — サトシへの最初のメール(2009-05-02)
「偉大な人」ではなく「いい人」として覚えられたいと語った実務家。2011年、CIA本部で講演。同じ年、サトシが消える直前に開発の鍵を手渡された。2016年、クレイグ・ライトを「サトシだ」と公に認め、コミュニティの信頼を失った。
“My talk at the CIA went well today. The hallways there are REALLY wide, and full of interesting stuff.” — CIA本部での講演後(2011)
2010年5月22日、1万BTCでPapa John'sのピザ2枚を購入。ビットコインで初めて現実世界のモノを買った男となった。その夏だけで計約79,000 BTCをピザに費やしたとされる。GPUマイニングの先駆者でもあるが、世間には「ピザの人」としてしか記憶されていない。
“No. I don't regret it. I got to be part of Bitcoin's early history. That's pretty cool.” — 後年のインタビュー
1997年、ビットコインのマイニングの基盤となるハッシュキャッシュを発明。サトシが最初にメールを送った相手でもある。だが、送られてきたビットコイン論文を当時最後まで読まなかった。本格的にビットコインに関わるのは2013年、つまり発明者から連絡を受けてから5年後だった。
“Probably my biggest mistake.” — Cointelegraphインタビュー
1998年、b-moneyの構想をサイファーパンク・メーリングリストに投稿。ビットコイン論文の参考文献第1番に挙げられている。マイクロソフトに在籍。イーサリアムの最小単位「wei」は彼の名に由来する。公の場にほとんど姿を現さない。
“I'm actually more interested in Satoshi's creation... It appears to be the author wasn't aware of my ideas at the time.” — LessWrong(2013)
1998年、「bit gold」を構想。「スマートコントラクト」という言葉を生み出した人物。ビットコインの設計に最も近い先行研究を残したが、自分ではコードに落とさなかった。「サトシ=サボ」説が絶えないが、本人は一貫して否定している。
“Nearly everybody who heard the general idea thought it was a very bad idea.” — bit goldについて、Unenumerated(2011)
Googleの上級ソフトウェアエンジニアを辞めて、ビットコイン開発に専念した男。2011年4月23日、サトシ最後の私信「I've moved on to other things」を受け取った一人。2016年1月、ブロックサイズ戦争の末に「Bitcoin has failed」を宣言、全コインを売却して立ち去った。
“Bitcoin has failed.” — 「The resolution of the Bitcoin experiment」(2016-01-14)
暗号学メーリングリストの古参。自称「悲観主義者」。2008年、サトシから頼まれてビットコインのコードをレビュー。通貨コードに浮動小数点型が使われているのを見て仰天したが、実際に検証したら丸め誤差はゼロだった。
“I freaked out when I discovered the code used a floating-point type rather than an integer type for accounting.” — インタビュー(2018)
ビットコイン論文の公開からわずか2日後、メーリングリストで最初にサトシに返信した人物。「切実に必要だ――だが、スケールしないように思える」のパターンで追及を続けた。15年後、彼の指摘した問題の多くはまだ未解決のままだ。
“We very, very much need such a system, but the way I understand your proposal, it does not seem to scale to the required size.” — Cryptography Mailing List(2008-11-02)
2010年12月、BitcoinTalkでサトシの投稿に返信した数日後から開発に関わり始めた。Replace-by-Fee(RBF)、OP_RETURN、OpenTimestampsなど、ビットコインの基盤に残した痕跡は多い。2024年10月、HBOのドキュメンタリー「Money Electric」で「お前がサトシだ」と名指しされ、皮肉で応じた。
“Of course I'm Satoshi, and I'm Craig Wright.” — HBO「Money Electric」への反応(2024)
2016年、「私がサトシだ」と名乗り出た男。2024年3月14日、英国高等裁判所のメラー判事はCOPA訴訟で、ライトはホワイトペーパーの著者でも、サトシ・ナカモトの名義を使った人物でも、ビットコインの創設者でもないと認定した。「意図的かつ大規模な文書偽造」に関与したとも述べた。
“Dr Wright is not the author of the Bitcoin White Paper. Dr Wright is not Satoshi Nakamoto.” — メラー判事、COPA対ライト判決(2024-03-14)
マルッティ・マルミから`bitcoin.org`を引き継いだ匿名の管理者。本名、国籍、年齢、すべて不明。2021年、クレイグ・ライトからホワイトペーパー削除を求めて提訴されたが、匿名を守るために出廷せず、欠席敗訴を選択した。裁判所の削除命令を無視し、今もホワイトペーパーはbitcoin.orgに掲載されている。
“A system where 'justice' depends on who's got the bigger wallet.” — ホワイトペーパー削除命令後のツイート(2021-06-28)
ビットコイン・インスティテュートによる分析
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