ビットコイン・インスティテュート

フラン・フィニー

ハル・フィニーの妻、その遺志の守護者

人物

濃紺と青緑を基調にした抽象的なイラストで、輪郭だけの人影が家型の枠の下に並び、光る旧式のコンピューター端末や霜模様のカプセル型アイコン、日付を示す横一列の年表が描かれている。

「彼は神を信じていませんでした。未来を信じていました」

フラン・フィニーが夫ハル・フィニーについてこう語ったのは、ハルの死から5年後、2019年の『Cryonics Magazine』インタビューでのことだった。フランとハルはカリフォルニア工科大学(Caltech)で出会った。ハルが新入生として入学した時、フランは3年生だった。「ローテーション・ウィーク」の日、初めて彼を見た。「上級生に持ち上げられて運ばれている最中だった」。彼の周りにはいつも人が集まり、哲学の議論が始まった。「彼が話すと、その言葉はたいてい聞く価値があった」。

ビットコイン

フランはビットコインの誕生を間近で目撃した。2009年1月、ハルがソフトウェアをダウンロードして実行した時の反応を語っている。「これはすごい。面白いゲームだ。見て!本当に動いてる!」1月11日、同じ瞬間は初めて公の記録として残ることになる。ハルが投稿した「Running bitcoin」は、ビットコインについての最初の既知のツイートだった。(なお、ハルの初期の採掘が短く終わった経緯は、後にハル本人が2013年のエッセイ「ビットコインと私」 で、コンピューターが熱くなりファン音が気になったため自ら止めた、と明かしている。)

サトシ同定論争におけるフランの役割

アンディ・グリーンバーグによる2014年のForbes特集『Nakamoto’s Neighbor』の取材で、フランは2009年4月18日にハルがサンタバーバラで走った10マイルレースの写真を見せた。この日は、サトシがマイク・ハーンとメールを交わし、ビットコインの取引をブロードキャストしていたのと同じ日だった。この写真は、アーカイブ自身のハル・フィニー同定仮説の分析がハル=サトシ説への最有力の反証と位置づける記録の原点であり、のちにジェイムソン・ロップによる2023年の再分析でタイムスタンプ表として体系化された。フランはこれまでのどのインタビューでも、一貫してハルがサトシではないと否定している。

ALSと介護

2009年8月、ハルは筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断された。フランは病気の進行に伴い、主要な介護者となった。「普通の認知症とは違うけど、脳も侵される。ハルは素早い思考力や暗算力が衰えていると感じていた。それを失いつつあり、さらに失うだろうと」。ハル自身も、フランがここで語るのと同じ2009年に、同じ診断と進行を自らの側から綴っている。エッセイ「Dying Outside」がそれだ。

ハルの世界観について

「ハルはここにいたかったんだと思います。未来を体験したかった。変化にとてもわくわくしていました……どんな変化にも、より幸せそうに見えました。どの変化も素晴らしかった!彼はそれを受け入れ、いつももっと先を楽しみにしていました」

クライオニクス保存

1992年10月15日、フランとハルはカリフォルニア州リバーサイドでアルコア・クライオニクス会員登録の書類に署名した。ハルの動機について、「それが彼がクライオニクスに関わった大きな理由だと思う。世界がどうなるのか見たかっただけ。それはとても素晴らしい、驚異的な場所になるはずだから」。

ハル・フィニーは2014年8月28日に死去した。アルコア生命延長財団の128番目の患者(会員A-1436)としてクライオニクス保存された。フランと息子のジェイソン、娘のエリンが遺された。ここで語られる人物の生涯をより詳しく伝えるのが、ハル自身の伝記である。

関連エントリー

5件

記事

アンディ・グリーンバーグ/Forbes:「Nakamoto's Neighbor — ビットコインのゴーストライターではなかった」

アンディ・グリーンバーグ ↔ ハル・フィニー, フラン・フィニー, ドリアン・ナカモト, サトシ・ナカモト

2014年3月25日Forbes特集。アンディ・グリーンバーグがフィニー宅を訪問し、ハル=サトシ仮説を取材、2009年4月18日のレース当日の写真を反証として公開。

記事

ジェイムソン・ロップ:ハル・フィニーはサトシ・ナカモトではあり得ない

ジェイムソン・ロップ ↔ ハル・フィニー, サトシ・ナカモト, マイク・ハーン, マルッティ・マルミ, フラン・フィニー

ジェイムソン・ロップが、ハル=サトシは不可能と主張。2009年4月18日、サトシ活動時間帯にフィニーはサンタバーバラで10マイルレースを走っていた。