ビットコイン・インスティテュート

コードが​仕上がる​前に​サトシが​知っていた​もの​ — Hashcash、​b-money、​ビットゴールド、​RPOW

濃紺の背景に「Before the code was done」という題と、2008年から2010年までの横長の年表。「2008年8月20日、コードはほぼ完成」と記した金色の縦線の手前にはHashcashの点が一つだけあり、線の後ろにb-moneyとマイクロミント、ホワイトペーパー、ビットゴールド、ビットコインv0.1、DigiCash、RPOWの点が並ぶ

現存する最古のメールで、サトシ・ナカモトはアダム・バックに引用の確認を頼んだ。送った表記は「[5] A. Back, “Hashcash - a denial of service counter-measure,“」で、次の段落で作業がどこまで来ているかを伝えている。

サトシ・ナカモト(アダム・バック宛のメール、2008年8月20日17:30 UTC)

ハッシュベースのプルーフ・オブ・ワークに、電子キャッシュを実現する手段という新しい使い道を見つけたので、興味を持ってもらえると思う。プレリリース版の草稿はhttp://www.upload.ae/file/6157/ecash-pdf.htmlからダウンロードできる。興味を持ちそうな他の人にも自由に転送してくれてかまわない。C++ 実装もほぼ完成しており、オープンソースとしてリリース予定だ。

10月31日に公開された論文では、同じHashcashの項目が[6]になっている。一覧の先頭には新しい[1]が立った。ウェイ・ダイのb-moneyで、サトシはこのメールを書いた時点でその存在を知らなかった。この二つの番号のあいだに、このページが先行技術を一つずつ追う争点がある。のちにビットコインの祖先と呼ばれるもののうち、どれがコードを書いているサトシの目の前にあり、どれが後から届いたのか。

1. 線をどこに引くか

コーディングの期間は、サトシ本人が書いている。2008年11月17日に「この一年半、コードを書きながら、そうした細かい点は、すべて詰め切れていると思う」と書いており、着手は2007年半ばになる。自己言及の目録は、この期間を2009年1月8日のv0.1公開までと読み、コードが先で論文が後だったという本人の言葉も記録している。その期間の中で、サトシがコードの進み具合を書いたのは8月20日の「ほぼ完成」だけである。このページはその日を線にする。線より前にあるものは、コードの大半を書いているあいだ机の上にあった。線から1月8日までに届いたものは、設計をすでに草稿にして人に渡し、仕上げに入っていた時期のものである。

名前ごとの判定は、いつ知ったかの推測ではなく記録で行う。サトシ自身の文章か、返信したことで読んだと分かる、サトシ宛ての文章である。最初の記録は、サトシが初めて知った瞬間ではない。現存する記録から、知っていたと言える最も早い時点である。

2. 一覧

先行技術サトシの目の前にあったと分かる最初の記録サトシ自身が初めて名前を書いた日2008年8月20日より前か
Hashcash(アダム・バック、1997年)2008年8月20日。本人が引用している2008年8月20日はい。ほぼ完成したコードと一緒に送った草稿で引用
連鎖タイムスタンプ(ハーバーとストルネッタ、1991〜1997年)2008年8月21日。「Usenetの代わりとして」2008年10月31日(論文で引用)手法は8月20日の要旨にある。論文そのものをいつ読んだかは記録にない
b-money(ウェイ・ダイ、1998年)2008年8月21日。バックの返信2008年8月21日いいえ。「b-moneyのページは知らなかった」
マイクロミント(リベストとシャミア、1996年)2008年8月21日。バックの2通目名前を書いたことはないバックの紹介より前の記録はない。論文で引用していない
ビットゴールド(ニック・サボ、1998年構想、2005年公開)2008年11月7日。ハル・フィニーの投稿(サトシは11月9日に返信)2010年7月20日記録はない
チャウムの電子キャッシュ/DigiCash2008年11月9日。ジェームズ・A・ドナルドの「チャウム式の電子マネー」(サトシは11月14日に返信)2009年1月13日記録はない
e-gold—2009年1月25日記録はない
RPOW(ハル・フィニー、2004年)2009年7月21日。本人のメール2009年7月21日記録はない
Crypto++(ウェイ・ダイのライブラリ)v0.1.0のソースの中。Crypto++ 5.5.2(2007年9月24日)から取り出したSHAのコードで、冒頭に「modified by Wei Dai」とある2010年7月26日コードはある。作者をb-moneyの作者と結びつけていた記録はない

3. 先行技術ごとに

3.1 Hashcash

コードを書いている時期に、サトシが自分から記録に持ち込んだデジタルキャッシュの先行技術は、Hashcashだけである。8月20日のメールは、Hashcashが関係するかどうかを尋ねていない。引用の表記が正しいかを尋ね、自分の新しさを「ハッシュベースのプルーフ・オブ・ワークに、電子キャッシュを実現する手段という新しい使い道を見つけた」と書いている。設計系譜の分析がHashcashを、開発中に使っていた唯一の引用文献に分類する根拠はこのメールにある。

番号がもう一つの証拠になる。Hashcashは8月に[5]、10月に[6]で、b-moneyが[1]として入った。ちょうど一つずれるのは、Hashcashより前のほかの項目が変わらず、b-moneyを先頭に差し込んだ場合に起きる形である。これは番号から読んだことで、草稿を読んだことではない。メールにリンクされた草稿は失われており、ウェイ・ダイ、アダム・バック、グレゴリー・マクスウェルはGwernに控えを持っていないと伝えている。草稿の最初の4項目は確かめられない。

タイムスタンプの文献は別の位置にある。8月20日の要旨はすでに、ネットワークが「トランザクションをハッシュベースのプルーフ・オブ・ワークの継続的なチェーンへとハッシュ化することでタイムスタンプを付与」すると書いている。翌日のサトシは、自分の設計を既存のやり方と「Usenetの代わりとして」の一言で比べた。論文も同じことを「新聞やUsenetの投稿ではなく」と書いている。ハッシュを公開してタイムスタンプにするやり方を、サトシは8月21日には知っていた。コードを書く前にハーバーとストルネッタの論文を読んでいたかは、記録にない。

3.2 b-moneyとマイクロミント

アダム・バックは8月21日、コードがほぼ完成した後で、二つの論文を教えた。最初の返信は協定世界時12時55分で、b-moneyを挙げた。サトシは17時59分に「ありがとう。b-moneyのページは知らなかったが、私のアイデアはまさにその出発点から始まっている。」と返した。その18分後、バックは草稿をまだ読まないまま、二つ目の論文としてリベストとシャミアのマイクロミントを挙げた。

翌日、サトシはウェイ・ダイに書き、b-moneyの公開年を「(2006?)」として引用の案を示した。この疑問符も同じ証拠の小さな一片である。サトシはb-moneyがいつ公開されたかを知らず、答えは1998年だった。マイクロミントは論文に引かれず、返事も記録にない。サトシの文章に残る跡は、2009年1月10日のバック宛ての公開の知らせの書き出し、「ウェイ・ダイのb-money論文や他の論文を紹介してくれてありがとう。」だけである。

3.3ビットゴールド

ビットゴールドの名前は、論文の公開から1週間後の2008年11月7日、サトシが答えていたスレッドに現れた。ハル・フィニーは投稿で、ニック・サボが何年も前にビットゴールドと呼んだものについて書いていたと述べ、「これはまさにその実装となりうるよ」と続け、サボの2005年12月のブログ記事を脚注に付けた。サトシは11月9日にその投稿に返信し、トランザクションの伝播とチェーンの選び方について一点ずつ答えたが、ビットゴールドには触れなかった。11月9日の時点で、サトシはその名前とリンクを読んでいた。それより前に、名前がサトシの目の前にあった記録はない。同じ月の後半にジェームズ・A・ドナルドとハル・フィニーが書いた「bitgold coins」は、返信者たちが名前を混ぜたもので、サボ仮説のページがその経緯をたどっている。サトシがその語を使った印ではない。

外からの証言は、ウェイ・ダイの一つだけである。2014年3月2日のサンデー・タイムズで、ダイはサボがサトシだと思わない理由の第一に「サトシが初めのころ私にくれたメールでは、彼はニック・サボの考えを知らない様子でした」を挙げた。記者はその後に、サトシは「ウェイが話すまで、サボのビットゴールドの構想を知らなかった」と書いている。ダイがこの判断の裏付けとして公開した3通、2008年8月22日のサトシのメール、日付のないダイの返事、2009年1月10日のサトシのメールは、どれもサボにもビットゴールドにも触れていない。ダイ自身の言葉は、3通に書かれていないことの上に立っている。記者の文は、公開されたどのメールよりも一歩先へ出ている。

サトシ自身がビットゴールドの名前を書いたのは、ビットコインのWikipedia記事が削除にかけられていた2010年7月20日で、ビットコインをウェイ・ダイのb-moneyと「ニック・サボのBitgold提案」の実装だと書いた。リンク先は、ハルが示したのと同じ2005年12月のアドレスだった。

3.4 DigiCash、チャウム、e-gold

信頼に頼る電子キャッシュの会社がサトシの文章に出てくるのは、公開の5日後である。2009年1月13日、ダスティン・トランメル宛てのメールで、関心を持つ人が少ない理由をこう書いた。「信頼された第三者に頼るシステム(Digicashなど)が10年以上も失敗続きだったあと、その人たちはもう望みがないと見ている」。2月12日には、デイビッド・チャウムのマネーについての質問に「それがチャウム式システムのアキレス腱だった。中央の会社が閉鎖されると、通貨も終わった」と答え、2月15日には、ある団体の構想を「昔のチャウム式の中央造幣局」と呼んだ。e-goldの名前は1月25日に、そこにすでに付いていたスパムとともに出てくる。

1月の一文は、10年分の失敗をすでに見てきたものとして見渡している。この一文が語るのは、サトシがプロジェクトに持ち込んでいた下地であり、作った後に見つけたものではない。ただし、その下地がいつからあったかは記録では決まらない。チャウムの名前が載ったサトシ宛ての最も早い文章は、ビットコイン上の口座マネーにさらに「チャウム式の電子マネーを重ねる」と書いたドナルドの11月9日の投稿で、サトシは11月14日に返信している。8月20日より前に、どちらかの名前が出てくる記録はない。

3.5 RPOW

RPOWがサトシの文章に出てくるのは2009年7月21日、誰が手伝えるかを書いたマルッティ・マルミ宛てのメールである。「ハルは現在積極的には関わっていない。」と書き、続けて「何年も前にReusable Proof Of Work(RPOW)でこの松明を掲げていた。」と書いた。ハル・フィニーはそれまでに、同じメールのとおり、暗号学メーリングリストで設計を擁護し、最初のリリースを試していた。サトシ宛てにもサトシからも、それより前にRPOWの名前を出したメッセージはない。この日付は最初の言及であって、それ以上ではない。サトシがフィニーの2004年のシステムを知った日ではなく、それがいつだったかを記録は語らない。

3.6 v0.1の中のウェイ・ダイのコード

ウェイ・ダイの仕事の一つは、b-moneyが論文に入るより前からビットコインの中にあった。v0.1.0のソースのSHA-256のコードはCrypto++ 5.5.2(2007年9月24日)から取り出したもので、ファイルの冒頭には「sha.cpp - modified by Wei Dai from Steve Reid’s public domain sha1.c」とある。8月22日のサトシのメールは、バックを通じてb-moneyを知った見知らぬ者としてダイに自己紹介しており、ライブラリには触れていない。記録が示すのは、サトシのソースにダイの名前があったことである。サトシがライブラリの作者とb-moneyのページを結びつけていたことは示さない。

4. 届いた順

20088月20日Hashcashを引用コードはほぼ完成8月21日 バックがb-money、続いてマイクロミントを紹介10月31日 論文を公開b-moneyは 参考文献111月7日ハル・フィニーがビットゴールドの名前を出す20091月8日 v0.1を公開1月13日 サトシがDigiCashの 名前を書く7月21日サトシがRPOWの名前を書く20107月20日サトシがビットゴールドの名前を書くサトシの目の前にあった先行技術、最初の記録

5. 記録が支えること

アーカイブがこれまで立ててきた線は、サイファーパンク独立到達の分析にあるとおり、サトシはビットコインを作るあいだHashcashを知っていて、b-moneyは知らなかった、というものである。先行技術を一つずつ並べても、記録はこの線を支える。そのうえで一つ付け加わる。コードがほぼ完成するより前に、ほかのデジタルキャッシュの提案が出てくる記録は一つもない。知らなかったことが本人の言葉で残っているのはb-moneyだけで、マイクロミント、ビットゴールド、DigiCash、RPOWについて、表の日付より前の記録はただ沈黙している。

その沈黙には端がある。サトシとマイク・ハーンやギャビン・アンドレセンとのメールの多くは今も公開されておらず、ウェイ・ダイの返事には日付がなく、8月20日の草稿は失われている。サイファーパンクのアーカイブや1990年代の電子キャッシュの報道を黙って読んでいた人は、何の跡も残さない。独立到達の分析が受動的な読み手の可能性を開いたまま残しているのは、そのためである。表が日付を付けているのは、記録に届いた時点であって、それより前に読んでいた可能性を消すものではない。

8月20日の草稿には、サトシが自分の手で選んだ祖先が一つだけ載っていた。本人がコードはほぼ完成だと書いていた時期である。このページのほかのデジタルキャッシュの先行技術はすべて、それより後に手渡されたか、それより後にサトシの文章に出てくる。[5]と番号を振られたその一項が、記録が引く最もはっきりした線である。