The Cyphernomicon §2.13.4:暗号は政府にどんな影響を与えるのか(ティモシー・メイ、1994年)
メイは、暗号と国家について考え始めたのを1987年の終わりとする。公開鍵暗号、匿名のデジタル現金、情報の市場が、いまの政府の終わりを意味すると気づいたときだ。
ティモシー・C・メイがまとめたサイファーパンクの手引き『The Cyphernomicon』(Version 0.666、1994年9月)。創設者の一人が、グループの歴史、考え、議論を箇条書きで綴った。
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メイは、暗号と国家について考え始めたのを1987年の終わりとする。公開鍵暗号、匿名のデジタル現金、情報の市場が、いまの政府の終わりを意味すると気づいたときだ。
メーリングリストの合言葉「Cypherpunks write code」を、メイは命令ではなく立場をはっきりさせる言葉だと説明し、実際にコードを書く人の少なさも見積もる。
ごく初期の会合でジュード・ミルホンが口にした「ただのサイファーパンクの集まりだ」が、そのまま名前になった。メイがその経緯と、サイバーパンクとの結びつきを書く。
クリッパー・チップに対する標語「Big Brother Inside」は、クリッパーの会合でメイ自身が考え出したものだった。
新しく入った人に、メイは答える。クリッパー・チップは1993年4月16日の発表から数時間、数日で徹底的にこき下ろされ、支持者がいないので議論がない。
メイによるグループの始まりの覚え書き。エリック・ヒューズとの話し合い、PGP 2.0が出た週の最初の会合、午後の「暗号ゲーム」、ジョン・ギルモアの申し出。
1992年5月、メイとエリック・ヒューズは3日間話し合った。学会の暗号が動くコードになる歩みの遅さと、デジタル現金やミックスを実際に動かすという狙いについてである。
サイファーパンクがPGPに惹かれる理由をメイが書く。1992年9月の最初の会合はPGP 2.0の公開と数日のうちに重なり、PGPは趣味の人にも使える実用の道具だった。
PGP 2.0は、1992年9月にオークランドで開かれたサイファーパンクの最初の会合と同じ週に届いた。クリッパーの発表のわずか6か月前だった。